ちょっと古い話になってしまったが、過日、津波災害ボランティアをすべく東北へ出向いた夜中に、余震津波情報用として持参したラジオを聞いていたら、「作家 黒井千次」という懐かしい名前が聞こえてきた。
後にその番組を調べたら、”4月20日 NHKラジオ深夜便 〔明日へのことば〕アンコール「 老いを見つめる」作家 黒井千次 (H23.1.13の再放送)”でした。
作家
黒井千次さんは、谷崎潤一郎賞のほか数々の賞を受賞し、現在は芥川賞の選考委員などもなさっておられるようである。
小説を読まない私に、作家との縁などある筈がないのだが、その昔、とある夏季合宿ゼミにおいて「文章作法」というテーマを選択した。その時の講師が黒井千次さんだったのである。
そこで事前に提出した「私の幼年時代」(400字詰め2枚以内)という作文が、このお方にべた褒めされたのである。
受講生の中には文章が得意がためにこのテーマを選んだ人も多くいて、その人達の作文は自分からすると素晴らしい、と思われたのだが、褒められたのはその人達ではなく、ただひとり自分だったのである。
この文章のどこが良いのかの説明は良く覚えていないのだが、「今、自殺しようとしている人が、この作文を読むと自殺を取り止めるような文章」との説明があったことだけ覚えている。
何度読み返しても、自分にはこの作文の良さが解らない。専門家はどこを評価するのだろうか?
参考に、以下にその原文を載せることとする。 読まれた方の感想は、いかに?
---私の幼年時代---
平坦な水田地帯にまばらに集落が点在する静かな農村に、六人兄弟の四番目として生まれ育った私は、現代の都市社会のなかでは想像することもできない程、恵まれた環境の中で幼年期を過ごしたようである。昭和十八年生まれという戦時中の厳しい社会情勢の中であったが、純農村という地域事情から、その影響は極めて少なく、希に上空をB29が飛び去る程度であり、また食糧難ということも、世間で言われている程深刻ではなかったと聞いている。
なお父は、何時頃であったかは知らないが出征したことから、次の妹とは五歳の隔たりがあり、末っ子的存在であったことと、一家の主人が不在という不安な家庭環境の中では、母は元より兄姉等においても、幼い私を哀れみ必要以上にかばいつつ育ててくれたのではないだろうか。それが私の性格を末っ子的にしたようであり、この歳になっても、久し振りに集まる兄弟のなかで、それが感じられるのはいやなものである。特に若い頃には末っ子と判断されることが幾度かあったことからも、これは事実のようであり、自分の性格に対するいやな面の一つとなっている。
しかし、これはあくまで私自身の想像であって、幼年時代の記憶として残るものはほとんど持っていない。
数少ない記憶のなかで、比較的はっきりしていることの一つには、非常に歌の好きな子供であったということである。歌と言っても文部省が推奨するような児童唱歌ではなく、それは当時流行の歌謡曲を専ら歌っていたのである。これは今のようにテレビマンガの主題歌やコマーシャルソングもない時代であり、また父がこれを好んで口遊んでいたことの影響があったようである。記憶に残っている曲目の一つに”泣くな小鳩”があり、現代風に言えばピンク・レディーのUFOと言ったところだろう。
このことがはっきりしているのは、終戦を迎えて、父が戦地から無事に戻り、そして私が五歳になった頃、古くなった我が家が建て替えられたことにある。変化のない農村で、しかも兄姉たちが登校し一人残された、退屈な子供には訪れる数人の大工さんと、その仕事場は格好の遊び相手となった。
かと言って忙しい大工さんが、五歳の小僧の遊び相手をするはずがなく、したがってただ一人仕事を眺めるか、あるいは職人の目を盗んでは仕事場のいたずらをしつつ、得意の流行歌を人気歌手気取りで歌っていたのである。そしてそれが日課であり、来る日も来る日もこれの繰り返しとなったのである。
やがて家が完成し、最後の支払いの場でもって、大工の棟梁が、「毎日歌を聴かせてもらったお礼に」と言って、当時としては大金の百円札を差し出された時には、さすがに照れ果てしまったということを、今でも忘れられずに残っている。
トランジスタラジオも無い当時の職人としては、あの幼い小僧のへたでかつ歌詞も曖昧な歌に釣られて、鼻歌を誘われて仕事に精を出したのではないだろうか。
こんなのんびりとした毎日が私の幼年時代である。
【注】
・今読み返すと、修正したいところが多々あるのだが、手を加えずそののまま記載した。
・改行以降の空白は文字数にカウントされるが、原稿に文字数制限があったため、改行を極力少なくしたので読みづらいが、ご勘弁を!
・この作文年代は、ピンクレディ売り出し頃の昭和51~2年頃か!
・ゼミ講義の中で記憶にあるものは「作文は事実を書くこと。事実でないことは”事実のように”表現すること」という話しがあったこと。